美肌の湯 上




しばしば俺は、どうして旅を続けているのだろうかと疑問に思う。
それはこんな風に狭苦しい車内の後部座席に押し込められているときには顕著だ。隣に座った悟浄はさっきから妙に上機嫌で、わけのわからない鼻歌を歌ってやがる。
いつも前部座席に座る俺がここにいるのは、悟空のやつがなぜか真っ先に前に座り込んでしまったからだ。八戒となにやら盛り上がって話し込んでいる。
気に入らねえ…いつもと違う席順なら、悟空は俺の膝の上にでも座っていればいい。
もっとも…あいつが俺の膝の上に座る場合には、俺もあいつもただじゃ終わらないのだが。

「おい…もうちっとそっちにつめろ。暑苦しいんだよ。」
「ああん? 俺はいつもの位置に、いつものように座っているだけよ。三蔵サマ、ちょっと太ったんじゃねーの?」

赤毛の河童はカンに触る笑い方をしやがる。俺が八戒と悟空が盛り上がっているのに焼き餅を焼いているのを察してあてこすっていやがるのだ。
無言でリボルバーを握ると、もともと俺を怒らすつもりのない河童は、簡単に降参のしぐさをした。

「イラついてるねえ。ここんとこ、大きな町がなくって大部屋ばかりだからじゃねーの?」
「…るせーな。」
「個室、せめて二人部屋でなくちゃ、ベッドにあったかいオモチャを引っ張り込めないもんねえ。」
「てめえ…鼻の穴もうひとつつけてもらいたい様だな…。」

再び俺が懐手をすると、赤ガッパはへらへら笑いながらまた降参のしぐさをした。

「そんな三蔵様に朗報。俺様の独断で、ちょっと遠回りすることに決めました。」
「ん…?」
「温泉があんのよ、この先の山村に。そこで今夜は一泊。たまにはいいっしょ。」
「てめえ…何を勝手に。」
「…………美肌の湯、だってよ?」

エロガッパは俺の耳元に口を寄せ、くふふふ…といやらしい笑いをもらした。
たちまち俺の目の前に、湯煙の情景が広がった。
しっとりと全身をぬらし、頬をピンクに染めた悟空が、恥らうように俺を見ている。
わずかな水音のほかには、俺と悟空の吐息しか聞こえない。
俺は鷹揚に腕を伸ばす。吸い込まれるように悟空の滑らかな肢体が俺の胸に収まって…。
…………。

「悪かねえな。」
「だしょ?」

前の席では、俺のかわいい猿が無邪気に声を上げて笑っている。
今夜は、もっとかわいい声を聞くことができそうだ。



「……で。」

俺は眉間に思いっきりしわを寄せた。すでにしわというよりヒビといったほうが近い。

「確かに俺は猿と入りたいとは言ったがな。」
「はいはい。」

一緒に露天の湯船に浸かっているのは、悟空でなくてなぜか八戒。そして奥の岩の陰には。
……本物の猿が数匹、真っ赤な顔をして湯に浸かっているのだった。

「何が悲しゅうて、本物の猿と一緒の湯に浸からなきゃならねーんだ!」
「いいじゃないですか。ご希望は叶ったんでしょう。」

八戒はニコニコとおおらかな顔をして温泉を楽しんでいる。モノクルをはずしているせいか、いつもとは違った表情に見えた。

「猿違いだ!」
「まあ、温泉といったら楽しみは一つじゃないということでしょうねえ。」

八戒はなんでもない顔をして、湯に浮かべた桶の一つを引き寄せた。中には一升徳利と猪口が入っていて、もういいかげん八戒は出来上がっているのだった。
俺はいらいらと腕を組んだ。悟浄と悟空はまだ脱衣所に現れた様子もない。
悟浄が見つけたのは、本当に鄙びた温泉宿で、まったくの俺達の貸切だった。うまい飯は食わせてもらったが、設備といったらこの露天風呂ぐらい。特別仕切った様子もないところを見ると、どうやら混浴らしい。…まさか猿と混浴させられるとは思っていなかったが。
娯楽設備といえば、これまた古びた卓球台が一つだけ。それに悟浄と悟空がくらいついてもう数時間経つ。やつらはガキのように大騒ぎしながら、黄ばんだ白球をムキになって追い回しているのだ。

「よく飽きねえな、あのガキども。」
「そういう三蔵だって、珍しくずいぶん長湯じゃないですか。よく飽きませんね。」
「ふん。」

俺は鼻を鳴らすことで八戒に答えた。俺が何のためにこんな寄り道をしていると思ってる? いいモン見せてもらわないことには、諦めるに諦めきれない。

「まあ…そう腐らないで下さい。きっと悟浄が、悟空に温泉のセオリーとか醍醐味を教えてくれてますよ。」
「温泉の醍醐味…か。」

どうせ悟浄が教えることなどろくなことじゃないのに違いない。だが、今回ばかりはそれに期待しよう。
あいつだって下心いっぱいで、この温泉宿を選んだはずだ。現に八戒もいい具合に出来上がっていることだし。
俺と悟空がいい塩梅になることに、やつだってやぶさかじゃないはずだ。

「ふう…いいお湯ですねえ…。」

八戒がゆっくりと湯の中で腕を伸ばした。一瞬俺は迂闊にもドキリとしてしまう。
白濁した湯の中で、普段はまるで興味が持てないはずの八戒の肌までが、艶を帯びて見えたのだ。
やばい…変に湯当たりしたかもしれない。

「三蔵…大丈夫ですか、顔、真っ赤ですよ。」
「うう…。」

いい加減にして、そろそろ出ないとまずい。何しろ、八戒まで魅力的に見えるぐらい沸いちまっている。
だが、そんなときを狙ってやつらはやってくるのだった。



「わー! すげー蒸気! あっ結構広い風呂じゃん!」
「そんなんブラブラさせて走んなよサル。滑って転ぶぞ。」
「サルじゃねーし! 簡単に転ばねーもん!」

けたたましい声と共に、悟空が駆け込んできた。後ろからは悟浄も続く。
バカザル…いくら俺達しかいないからって前ぐらい覆え。つか、俺以外のヤツに簡単に披露すんな。

「うっわー岩風呂! すげ! あっ猿!」
「お仲間じゃねーか。ぎゃははは!」
「ちげーもん! 猿じゃねーって何べん言ったら!」

うるせー…。俺は自分の間抜けさ加減に目が回った。悟空と悟浄の組み合わせで、しっとりした雰囲気なんて期待する方が無理だったのだ。
というか…本気で目が回ってきた。

「おや…大丈夫ですか、三蔵。」

…どうやら本気で湯当たりだ。

「こらっ! さっき教えたろ! 湯船に入る前にはかけ湯しろって!」
「あっそうか! えーと、桶、桶…。」

悟空は桶を拾い上げると、物凄い勢いで頭の天辺から湯を掛けやがった。
低い位置の俺の顔にまで飛沫がビシビシ飛んでくる。思わず俺は頭を振り、クラリと世界が回るのを感じた。
ヤバイ…もう上がるべきだ。
しかし、この事態になっても俺は一抹の希望を捨て切れなかった。何しろ、さんざ待っていた悟空は、今まさに俺の目の前においしそうな裸身を晒しているのだ。というか、危険極まりない悟浄も一緒なのだ。ここでおめおめ引き下がることなどできやしない。
悟空は濡らした手ぬぐいをキュッと絞っている。同じくかけ湯をした悟浄が、よりにもよって俺の目の前に立ちやがった。
………汚い物を俺の顔の前にぶら下げやがって…。
悟浄はにや〜りと笑うと悟空を振り返った。

「おい猿! さっき教えてやったろ、温泉に入る前の儀式!」

儀式だと…そんなの聞いた事がないぞ。
悟空はいそいそと悟浄の隣に立った。そうしておもむろに2人で蟹股に足を開くと、広げた手ぬぐいを構えて…それぞれの股間に叩きつけていた。
濡れた手ぬぐいが股間を回って二つの尻に当たり、パァンと…そりゃ見事な音がした…。

「…なんですか、それは、悟浄。」
「いやあだって、三蔵サマが色々期待しちゃってるだろうから、ちょっとしたアトラクションをな…。」
「すっげーだろ、三蔵! これって温泉の正式な入り方なんだぜ!
あ、おい、何潜ってんだよ三蔵!」

…バカやろう…あんまり奇天烈なものを見せられたんで…目が回ったんだ…。

「おやおや、三蔵は本格的に湯当たりですねえ。」

長閑な八戒の声がする。俺は恐ろしいことを思い出した。
コイツ、確か俺が入るずいぶん前から入ってやがって、酒だってしこたま飲んだくせに。…何でそんなに涼しい顔なんだ。

「わー! こんなところで死ぬなよ! 三蔵!」

大バカやろう、最後に焼き付けられたのがそんなものだなんて、情けなくて死ぬに死ねねーっつの。
俺はぶくぶくと泡を吹き出しながら、おのれの甘さと迂闊さを呪っていた。
やっぱり温泉には、妖怪どもと一緒に入るべきではないのだった。











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